ケープ・ヨーク隕石

オクタヘドライト(。A)
ケープ・ヨーク隕石
Cape York, Green Land

1894年発見、価格(1グラム):¥600

 ケープ・ヨーク隕石ウィドマンシュテッテン構造と呼ばれる網目模様が美しいオクタヘドライトという種類の鉄質隕石です。この隕石の存在を世に知らしめたのは、人類初の北極点到達を1909年に成し遂げたアメリカの探検家ピアリーです。1894年にグリーンランドのケープ岬を訪れた時、ピアリーは現地のエスキモーに隕石の存在する場所へ案内され、3個の巨大なケープ・ヨーク隕石(30.9トン、3トン、0.4トン)の存在を知りました。昔より現地のエスキモーはケープ・ヨーク隕石からナイフなどを作っていたそうです。それから3年後、現地調査を終えたピアリーは3個のケープ・ヨーク隕石をニューヨークへ運びました。これらの隕石にはそれぞれ、テント、婦人、犬の名前が付けられて、今もニューヨークにあるアメリカ自然史博物館で展示されています。ピアリー以後も、デンマークの隕石学者ブーフバルトなどによって、数個のケープ・ヨーク隕石が発見されており、ケープ・ヨーク隕石の総重量は58トンにもなります。

コラム「鉄資源としての隕石」
 鉄が自然銅のように単体で存在することは希であり、昔の人々は鉄資源として隕石を利用していたと考えられています。ケープ・ヨーク隕石はその実例です。ヒッタイトの王家のお宝リストに、天からの鉄という記載があります。また、ギリシャ語の鉄(Sideros)とラテン語の星(Sidera)のように、言語学的にも隕石と鉄を結びつける例もあります。古代の人々は、鉄は天からの贈り物と考えていたようです。
 近代においても、隕石と鉄を結びつける実話があります。アリゾナのクレーターを調査したバリンジャーは、鉄資源として移用するために、クレーターを形成した隕石を探し続けました(キャニオン・ディアブロ隕石を参照)。中国では文化革命による富国政策として、国内の鉄資源の調査が実施され、ナンタン隕石が発見されました。また、我が国では隕石を利用して刀が作られたことがあります。富山県新川群白萩村で1890年に発見された白萩隕石を材料に「流星刀」が作成され、当時の皇太子(後の大正天皇)に献上されました。一般に、鉄質隕石にはイオウやリンが含まれており、加工には不向きです。流星刀を作成した刀匠国宗も苦心したそうです。
 近年、ジュエリー(ペンダント等)や時計にも、隕石が利用されるようになりました。製作数が少ないので、高価なものになっています。

ほんもの隕石観察セット ●隕石標本 ● 隕石標本2  ● 隕石標本3


Copyright (C) 1996-2008 iStone. All Rights Reserved.|ホームサイトマップ