硬玉(ジェダイト)、本ヒスイ

化学式:NaAlSi2O6

硬玉
新潟県 糸魚川市

ジェダイト ヒスイ輝石
Kachin, Myanmar Polar Ural, Russia

 硬玉(こうぎょく)はヒスイ輝石輝石の一種)を主要(90%以上)な構成鉱物とする岩石です。国内でヒスイ(翡翠)と言えば、通常、硬玉のことを指します。硬いこと(参照:硬玉と軟玉の違い)が名前の由来です。ジェダイトという呼び名はヒスイ輝石の英名 Jadeite (鉱物名)と同じなので、正確な名称ではありません。硬玉は鉱物ではなく岩石なので、ジェディタイト(Jadeitite)と呼ぶべきですが、ほとんどの場合、ジェイドと呼ばれています。
 ヒスイ輝石が生成されるには、1万気圧の高圧と300℃程度の低温という、特殊な高圧低温状態での変成作用が必要です。そのため、硬玉の産地は限られています。宝飾品として利用可能な硬玉は六ヶ所(新潟県糸魚川ー青海地域、ミャンマー・カチン州、カザフスタン、ロシアのウラル山脈の北方、ロシア・アバカン、中南米のグアテマラ)のみで産出します。流通している硬玉のほとんどがミャンマー産です。国内産の硬玉を入手する時には注意してください。国産として販売されている硬玉の量が実際の産出量の3倍を越えているそうです。
 ヒスイ輝石の本来の色彩は白色です。緑色の発色はアルミニウム(Al)の一部がクロムに入れ替わることによて、結晶構造に歪みが生じていることが原因だと考えられています。ビルマ産の硬玉(ヒスイ輝石)を分析すると、確かに、クロムが検出されます。しかし、全ての硬玉がクロムによって緑色を呈しているわけではないようです。例えば、新潟県の糸魚川ー青海地域で採取されるヒスイ輝石には、クロムがほとんど含有されていません。代わりに、鉄とマグネシウムとカルシウムが検出されます。ヒスイ輝石中のアルミニウムの一部が鉄とマグネシウムに、ナトリウム(Na)の一部がカルシウムに入れ替わっているようです。この様な入れ替えが進むと、別の種類の輝石(鉱物名:オンファス輝石)に分類されるようになります。糸魚川ー青海地域の緑色の硬玉を分析したところ、かなりのものにオンファス輝石が含有されているようです。硬玉の緑色の発色原理は、クロムよるものと、オンファス輝石の含有によるものが考えられています。

コラム「忘れ去られた宝石」
 硬玉(ヒスイ輝石)を最初に宝飾品に利用したのは、紀元前3000年頃の縄文人です。神秘的な力を持つ石として崇められており、4世紀には朝鮮半島にも伝えられました。しかし、8世紀の中期頃、硬玉を大切にする文化は消滅し、人々から忘れ去られました。次に、日本人が硬玉を知るようになるのは、中国から宝飾品が輸入されるようになった明治時代です。縄文時代の遺跡などから硬玉の加工品が出土していましたが、原石の産地が国内で未発見だったため、「硬玉(ヒスイ)は中国の宝石」という認識が生まれました。遺跡などの硬玉も大陸からミャンマー産のものが持ち込まれたものであると考えられていました。しかし、この考えは硬玉加工品の時代分布と矛盾します。縄文時代の硬玉加工品は主に東日本で発見されています。弥生時代では、逆に、西日本で多く発見されています。大陸から伝わったのであれば、西日本から東日本へと広まっていくべきですが、実際は逆になっています。この様に、遺跡から出土する硬玉の存在は、大きな歴史上のミステリーでした。
 この謎を解く重要な発見があったのは1938年8月12日です。この日、新潟県の小滝川の滝壺で、小滝村在住の伊藤栄蔵は緑色の石を見つけました。この石は、翌年の6月、東北帝国大学の研究室に届けられ、ビルマ産の硬玉(ヒスイ輝石)と比較されました。そして、同じ種類の鉱物(ヒスイ輝石)であることが判明しました。その年の8月、小滝川の現地調査が行われ、硬玉(ヒスイ輝石)の岩塊が多数発見されています。国内に産地が見つかったことにより、歴史の謎は解明されることになりました。遺跡の硬玉加工品を分析したところ、ミヤンマーではなく、新潟県の硬玉の原石を使用していることが、確かめられました。ヒスイ輝石は日本固有の宝石であると言えます。ただ、8世紀中期に、人々に忘れ去られた原因は謎です。原石の産出量が減ったという説や、時の権力者によって所有が禁止されたという説などが提唱されています。

硬玉(ジェダイト)(指輪) ●硬玉(ジェダイト)(原石)

硬玉(ジェダイト)(裸石) ●ヒスイ輝石(国産原石標本)


Copyright (C) 1996-2009 iStone. All Rights Reserved.|ホームサイトマップ